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西鉄バスジャック事件

2019.04.14.Sun.09:04

2000年(平成12年)5月3日
[ 12・56 ] 乗客22人を乗せた福岡・天神行きの西鉄高速バス「わかくす号」が佐賀市の西鉄佐賀営業所を発車。

[ 13・35 ] 九州道大宰府インターチェンジ(IC)付近で、乗客の1人であった無職のT(当時17歳)が刃渡り40センチの牛刀を片手に、乗客に対して、「おとなしくしろ」と騒ぎ出し、運転席の後ろに座ると、乗客全員に「持っている荷物を出せ」と怒鳴り、さらに「女は前に出ろ。男は後ろに下がれ」と指示した。1人でバスに乗った小学1年の優香ちゃん(仮名/当時6歳)だけは運転手席の後ろに座らされた。

[ 13・38 ] このとき、寝ていて事態に気づかないでいた女性客(当時34歳)に対し、Tは「あなた、ふてくされてますねえ」と声を掛け、いきなり牛刀で首の後ろ側と両手首を何回も刺す。これで加療4週間の怪我を負う。女性は通路に倒れた。Tは「おばさん、生きているか」と声をかけ、女性の体を蹴って、乗客から奪ったカメラで写真を撮った。 そしてTは「お前たちの行くところは天神じゃない。地獄です」と言った。 また、Tは平野忠運転手(当時57歳)に対して、「大宰府インターを降りずにまっすぐ行け」と命じた後、乗客に対して、「おとなしくしとけ。カーテンは閉めろ」と指示した。


[ 14・40 ] 女性客の山田由美(仮名/当時50歳)の顔などを牛刀で数回切りつけた。これで加療1ヶ月の怪我を負う。

[ 14・47 ] 九州道新門司IC付近で、「トイレに行く」と言って、バスから降りた女性客が非常電話で「バスジャック」されたと福岡高速管理室に通報。

ちなみに「飛行機乗っ取り」は「ハイジャック」だが、「ハイジャック」自体、「乗っ取り」を意味し、「バス乗っ取り」は正確には「バスハイジャック」と言う。だが、現在この呼び名は使われていない。 [ 14・59 ] 福岡高速管理室が110番通報。

[ 15・08 ] 福岡県警からの手配を受け、山口県警が県内に緊急配備発令。

[ 15・10 ] 福岡県警が300人態勢の捜査本部を設置。

[ 15・30 ] 西鉄が対策本部設置。

[ 15・33 ] 佐賀市の塚本達子(68歳)の右肩などを数回切りつけた。

[ 15・34 ] 中国道の小郡(おごおり)IC付近で、佐賀県大和町の看護婦(当時30歳)がバスの窓から飛び降りたが、右足を骨折するなど加療6週間の怪我を負う。

[ 15・37 ] バスが山陽道に入る。

[ 16・09 ] Tが携帯電話で110番に電話。「岡山県の吉備サービスエリア(SA)まで行けば人質を解放する。拳銃と防弾チョッキを渡せ。東京へ行きたい」と要求。

[ 16・20 ] 山口県下松(くだまつ)市の下松SA付近で、パトカーがバスを誘導しようとして失敗した。このとき、バスの速度が落ちていたが、そのすきに、佐賀県川副町の男性会社員(当時52歳)がバスの窓から飛び降りた。胸などを打ち加療10日間の怪我を負う。

[ 16・21 ] 再び、塚本達子を襲う。首を突き刺され失血死する。

[ 16・30 ] 山口県警捜査1課幹部が報道陣に「バスの前を走るテレビ局がある。すぐにやめてほしい」と要請。

[ 16・52 ] バスが山口県から広島県大竹市に入る。

[ 17・08 ] 西鉄が福岡市で会見。

[ 17・24 ] 広島市安佐南区の武田山トンネル内で、Tが「男は前へ出ろ。みんな降りろ」と命じ、男性客4人(当時18歳、31歳、56歳、73歳)が解放される。このうち、73歳の男性は妻(当時72歳)とともに乗車していたが、妻をバスに残して降りた。のちに、「後ろ髪を引かれる思いだった」と話した。

[ 17・50 ] バスが東広島市の山陽道の奥屋パーキングエリア(PA)に入り、警察の誘導で停車。PA内では、停車したバスを多数のパトカーがとり巻き、捜査員が脚立に立ち、ハンドマイクで説得にあたったが、Tは優香ちゃんに牛刀を突きつけ「けん銃を1丁準備せい」などと要求。一般車は入れないようパーキング入り口は閉鎖され、売店や食堂にいた客は全員、警察官の指示で避難。

[ 18・03 ] バスが再び動き始め、円を描くように駐車場内を動いて停車。

[ 18・34 ] 午後1時38分に、首などを切られた女性が解放され、広島市内の病院に運ばれる。

[ 19・25 ] 女性客2人が解放され、救急車で広島市の病院に運ばれたが、うち1人は塚本達子で、医師が死亡を確認。午後2時40分に、顔などを切りつけられたもう1人も重傷で、別の病院に運ばれる。

[ 19・30 ] 西鉄が2回目の会見。「怪我人がいると聞き、申し訳ない」

[ 20・40 ] 警察が車内に菓子類、ゴミ袋、ティッシュペーパーなどを差し入れる。

[ 21・37 ] バスが奥屋PAを出て、再び山陽道へ。「緊張がピークに達したので、いったん動かすことにした」と現場の警官。

[ 22・02 ] 東広島市の小谷SAに停車。約200リットル以上を給油。

[ 22・37 ] 女性客(当時72歳)が解放された。このとき、「お願いだから子ども(優香ちゃん)も出してあげて」と懇願したが、Tは「こいつは、どこまでも連れて行く」と言った。

[ 22・37 ] Tの両親が小谷SAに到着。

[ 23・00 ] 乗客の家族ら17人が佐賀市の佐賀署前をバスで出発。

[ 23・50 ] Tが家族との接触を拒み、説得に応じていないと広島県警が明らかにする。

[ 23・52 ] Tからの要求で、簡易トイレ、ウーロン茶、フライドチキン、おにぎり、毛布を差し入れ。

翌4日

[ 0・29 ] 亡くなった塚本達子の遺族が広島東署で遺体と対面。

[ 0・41 ] 女性客(当時52歳)が解放され、賀茂広域消防組合が西条中央病院に搬送。

[ 5・03 ] 運転席の横で窓越しに説得していた機動捜査隊長が、Tが優香ちゃんの脇から離れ、真後ろの席に移るのを見て合図を送る。それを受け、バスの後方から機動隊員ら約15人が近づき、左右の窓ガラスを割って、光と煙などで威嚇する新種の手投げ弾のフラッシュバンを投げ入れたあと、5、6人が車内に突入。

[ 5・05 ] Tが銃刀法違反と人質による強要行為等の処罰に関する法律違反容疑で逮捕される。この逮捕劇で、警官1人がTに左足を切られ負傷。車内に閉じ込められていた人質の女性9人と平野運転手の計10人に怪我はなく無事だったが、救急車で病院に運ばれた。事件発生から15時間半ぶりに解決。全走行距離は270キロだった。

機動隊員らはこの突入に備え、前日の3日午後11時半ごろから、小谷SA近くで同型のバスを使って、深夜の訓練を実施していた。訓練には福岡県警や大阪府警のSAT(特殊急襲部隊)も加わり、突入をリードした。図上訓練も繰り返していたという。警察庁幹部は「いつでも射殺可能だった。SA内で人質を1人ずつ刺すようだったらたぶん射殺しただろう」と証言した。ただ、相手が少年であり、凶器が銃器ではなく刃物だったこと、命中した弾がさらに乗客にあたる可能性もあることなどの理由から実行されなかった。結局、突入したのはSATが緊急に訓練した広島県警の特殊班だった。

人質として最後までバス内に閉じ込められていた乗客9人のうち、女性会社員の池内明子(仮名/当時18歳)が毎日新聞の取材に応じてバス内での様子を語った。池内は3日午後1時前、福岡市に買い物に行くため、小学校時代の友人で女性の長沢峰子(仮名/当時18歳)と一緒に佐賀市の佐賀駅バスセンターからバスに乗った。池内はバスの真ん中あたりの右側に長沢と並んで座っていた。

池内によると、走行中のバスの窓が開いていたことに気づいたTは塚本がバスから脱出を図ったとものと勘違いして刺したという。このとき、外から窓を叩くような音がしたが、Tは興奮していて、「誰かが逃げる気だ。叩いたのは誰だ。連帯責任だぞ」と言って、また塚本を刺した。

Tは長沢に前に来るように呼び、「次に誰かが刺されたらあなたを刺しますよ」と言い、さらに、池内にも「あなたも前に来てください。次に殺します」と言った。

また、バスの降車ベルが何かの拍子で鳴ったとき、Tは「誰だ。馬鹿にしているのか」と叫んだ。池内と長沢が疑われたが、池内が「違います」と強く否定すると、Tは「違いますね。そうしたらいいです」と引き下がった。

奥屋PAにバスが停車したとき、Tは 池内と長沢に対し「怪我をした人を前に連れてきてください」と言った。このとき、塚本の体は冷たかった。もう1人の怪我をした女性には、Tは笑いながら、「あなた、しぶといですね」と話しかけて写真を撮ったという。

Tにはこうした恐ろしい面とは逆に、乗客に「寒くありませんか?」と気を遣った。優香ちゃんには「トイレ大丈夫?」、警察から差し入れられた缶ジュースは「開けられる?」と声をかけ、運転手にも「きついでしょう。ここで交代してもいいですよ」と話しかけるなどの優しい面もあって別人のようだったという。

また、池内によると、Tは警察の突入の気配を察知していたという。Tが「バスの上で足音が聞こえる。あなたたち裏切りましたね」と言った。その瞬間、池内は殺されると思った。その直後に突入があり、煙が上がった。何がなんだか分からないでいたら、長沢が私の手を引き、「こっちよ」と言うのについて行き、バスの非常口から脱出できたという。

【 犯行に至るまでの過程 】
中学校までのTを知る教師や友人らの印象は「まじめ」「目立たない」「ひ弱」など、今回の事件のTの姿とは結びつかないという。Tは小学校から中学1年にかけて偏差値は50前後だったが、中学1年の後半から家庭教師をつけたということもあって、2年生のとき、全学年で2番になった。しかし、3年生になると、どういうわけか急に成績が下がった。1学期の中間テストの結果に、愕然としているとき、「学校殺死の酒鬼薔薇聖斗」が登場した。1997年(平成9年)5月のことである。この事件で、6月28日に逮捕されたAは中学3年で14歳。Tも同じく中学3年で14歳だった。精神鑑定書によれば、「同世代の猟奇事件として、強い感銘を受け、事件を起こした少年を崇拝した」という。

Tは中学の卒業式を控えたある日、校舎2階の踊り場から飛び降り、腰の骨を折った。当時の学校関係者によると、同級生に筆箱を取り上げられ「返してほしかったら、ここから飛び下りろ」と迫られたという。学校関係者は「以前から我々の目の届かないところで、いじめが続いたのかも知れない。怪我をする前にいじめを見抜けなかったことが悔やまれる」と声を落とした。

近所の人がTの母親から聞いた話では「打ち所が少しずれていたら、下半身不随になるところだった」というほどの重傷だった。直後の高校入試は病室で受験し、卒業式も欠席した。県内有数の県立進学校に合格したが、Tは1ランク上の高校が志望だったという。

1998年(平成10年)4月、Tは高校へ入学したが、わずか9日間通っただけで不登校になった。クラスメイトだった女子生徒は「入学式の数日後、熊本県の阿蘇であった宿泊研修の時にいた記憶だけしかない。おとなしく色白で、何かひ弱そうな感じだった」と言う。不登校を気遣い、担任教師らが何度か家庭訪問をしたが、効果はなかった。母親から相談を受けた中学時代の教師も自宅を訪れたが、Tが寝ていて会うことは出来なかった。近所の人によると、その頃からTの生活は荒れ始めたという。

1999年(平成11年)5月、出席日数不足で進級できず、休学中のまま退学した。高校の退学届には「一身上の都合」とあり、少年は「大検を受けて大学進学を目指したい」と話していたという。その後、飼い犬や家族にも暴力をふるうようになった。家族はTを立ち直らせようと、何度もカウンセリングを受けさせた。

8月、Tはパソコンを買い与えられ、インターネットに熱中し、警察、殺人、死体、武器などのサイトを好んで見るようになり、通信販売でサバイバルナイフ、スタンガン、催涙スプレーなどを購入した。父親は建設機械の営業マン、母親は保健婦、妹は中学生だから、昼間は家にはTしかいなかった。

また、Tは「遠くに行きたい」と言ってきかず、父親の運転する車で何度も広島や岡山、奈良などにドライブしていた。目的のない旅で、奈良へも日帰りだったという。

2000年(平成12年)2月ころから、Tは部屋に鍵をかけることが多くなり、インターネットにのめり込むようになっていった。Tは「キャットキラー」というハンドルネームで巨大掲示板サイトの「2ちゃんねる」にアクセスし、「ガキのころからみんなにバカにされ、さげすまれて生きてきた」「人生に夢も希望もない」「俺は一人で死なない。死ぬときはみんな一緒だ」「僕はバカではない」「自分の中の別の自分が人を殺せと言っている。助けてくれ」などと書き込みをした。

3月4日、Tは朝から2階の自室で掃除を始めた。その掃除は1日がかりで、夕方になってゴミ袋4つもって1階に降りると、父親に「会社の焼却炉へ連れて行ってくれ」と頼んだ。自宅から10キロ離れた会社に着くと、「自分で燃やす」と言って、ゴミ袋の中身を見せず、1時間ほどかけて焼却した。ゴミ袋の中身は、通知票、卒業アルバム、文集など、すべて学校に関係するものだった。その間、母親はTの部屋に入って、机の引出しから、次のような内容の紙片を発見した。

何で僕は、こんな事を書いているんだろう
さっき犯行声明文を出してきた
なんか恐ろしいことを書いた気がする
僕は昔から怒ると何をするかわからないと言われたけど
最近はもう一人の別のが出てきた
そして僕に恐ろしいことをすすめる
人を殺せ 人を殺せ
だれか僕を止めて下さい
もう止まらない、もう止まらない
父と母が少し気づいたようだ
僕が人を殺した時、自らの破壊によって
一生を終える
もう死ぬのか 人を殺すのか
今の僕は何なのだろうか
コレデオワリ コレデオワリ
モウオシマイ モウオシマイ
スベテ サヨウナラ バーイ
3/4 PM18:15

3月5日、母親は、Tが愛用する紫色のリュックサックに、大きな包丁、サバイバルナイフ、スタンガン、催涙スプレーなどが詰め込まれているのに気付いた。母親はカウンセラーや精神科医など各方面に相談した。夕方になってTは警察のワゴン車で、国立肥前(ひぜん)療養所(現・肥前精神医療センター)へ運ばれ、閉鎖病棟に収容された。

肥前精神医療センター
3月21日、母親はTと面会した。母親が、「刃物を集めていたのは中学校を襲撃に行くつもりだったの?」と訊くと、Tは「そうだよ」と言った。

3月27日、母親はTと2回目の面会をした。このとき、Tは機嫌が悪く、「来るな」「帰れ」などと怒鳴った。

4月26日、Tは初めて外出許可をもらい、帰宅して昼食を食べ、入浴してテレビゲームをして療養所に帰った。このとき、持ち物検査でカミソリを没収されている。

4月29日、Tに2回目の外出許可が下りた。帰宅したTは食事を済ませたあと、外出し、本屋に寄り、森林公園を散歩した。その後、親子3人で療養所へ行き、主治医と話をした。このとき、主治医は5月3日に1泊2日の外泊の許可を出した。母親はこのとき、外泊をさせるのは早すぎるのではないかと思ったという。

5月1日、愛知県豊川市で、17歳の少年による主婦殺害事件が起きた。この事件では、主婦(64歳)の首など約40ヶ所を刺して死亡させ、さらに、帰宅した夫(当時67歳)を負傷させて逃亡したが、翌2日、逮捕された。少年の口から反省の言葉は聞かれず、「人を殺す経験がしたかった」と供述して社会に衝撃を与えた。

5月3日午前9時、家族が療養所に迎えに行って帰宅した。Tは療養所で大学ノートに、7ページに渡って「犯行宣言」とも読み取れる内容を書いていたことがあとになって分かった。最初の3ページは、5月2日付で、残りの4ページには犯行当日の5月3日付になっていた。そこには、次のような主旨のことが書かれていた。

<もう誰にも僕の邪魔はさせない。僕が長い年月をかけて練った大切な計画を、貴様らは台無しにした! 決して許すことはできない。><それにしても許せない! 皆殺しにしてやる! 殺してやる! 楽に死ねるとは思わないことだ! 1人でも多くの人間を殺さねば! それこそが我が使命。><僕の肉体は滅んでも、精神は滅びない!><貴様らに楽しい連休などさせるものか! 恐怖と絶望に埋めてやる! 楽しい旅行? デート? ふざけるな! 全ての生命体が我が敵! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! 貴様らは僕の計画を台無しにした! 許せない!>

さらに、5月1日の愛知県豊川市での主婦殺害事件のことを次のような主旨で書いている。

<豊川で老いぼれ女が切られ殺されたとか。すばらしい! しかも僕と同じ17歳とか? よい風潮だ。40ヶ所も女を刺した時の快感はどうだった? 真面目に生きるよりはるかにいいだろう? 僕も今日実行する。これは我が計画をぶち壊した復讐だ! 65歳の女を殺してもしょうがないだろう? 20、21くらいの女を、強姦した後、首を絞めて殺す。理想的だ! 2つの快感を味わえる。できれば君に差し入れを持って行きたいな。まあ無理だろうけどね。なんか運命的なものを君とは感じるよ。年も一緒、学校では優等生・・・・・・。留置所はどう? 苦しいだろう? なんで自殺しなかった? 怖くなかったのか? 自首なんかするなよ! たかが警察ごときに! 警察なんて政府の飼い犬だろ?>

「65歳の女を殺してもしょうがないだろう?」・・・殺された主婦の年齢ははじめ「65歳」と報道されているが、後に「64歳」と訂正された。ちなみにTが殺害した塚本達子は68歳だった。

さらに、次のような主旨の文面が続く。

<殺人こそが全ての正義! さあ! みんなでそろって人を殺そう! 人殺しみんなですればこわくない! 女、犯したきゃ犯せばいい! ただし必ず殺すように! 子どもは強姦殺人でも1~3年、13以下は無罪! 13以下は児童相談所に通告されて、はい、おしまい! ほんとにそれだけなんだよ。16以上は控えめに! 起訴されちゃうからね! 18以上はもう大人! 死刑になっちゃうよ! なんで女を犯したら殺さなきゃいけないのか? 横山ノックを見ればわかるだろう。女に言いたい放題言われるからよ! 「死人に口なし」これ定説です。「未来のある若い人はやめようと思った」甘いな! 僕は無差別に老若男女皆殺しにする! それにしても僕の前日とはね・・・・・・まあいいでしょう。君は偉大な少年だ!僕は5人以上、70人未満を目指す。>

本来の計画では、母校の中学校を襲い、校舎の1階から各教室で生徒を刺し、3階の教室に立て篭もって、マスコミの注目を浴びるさなか、飛び降りて死ぬつもりだった。しかし、5月3日は学校が休みだったため、計画を変更してバスを乗っ取ったという(精神鑑定書より)。

巨大掲示板サイトの「2ちゃんねる」に、Tが犯行予告とも受け取れる書き込みをした。「3日午後0時18分」に、<佐賀県佐賀市17歳・・・。>という題名、<ネオむぎ茶>という名前で、<ヒヒヒヒヒ>とだけ書いた。

午後0時20分、Tはリュックサックを背負い、佐賀市内の自宅を自転車で出発した。その後、市内の金物店に立ち寄り、刃渡り40センチの牛刀を買い、西鉄バスの佐賀営業所へ向かった。そして、午後0時56分発の高速バス「わかくす号」に乗り込んだ・・・。

【 その後 】
事件があった5月から6月にかけて、事件の関連記事が連日のように新聞に載った。Tの供述に次のようなものがある。

<あのバスでなくてもよかった><自分は頭がよいのに塾へいかされ、自尊心を傷つけられた><自分は正常なのに病院に入れられた><事件を起こして親を苦しめたかった><バスを乗っ取ったときは三国志に登場する英雄で、憧れの劉備になったような気分だった。彼のように生きたかった><僕の事件は新聞の一面で報じられているか>

5月24日、広島地検が、Tを簡易精神鑑定にかけることを決定した。

5月31日、簡易精神鑑定を担当した精神科医は、「少年が真実を語っているとすれば、精神分裂病以外にはありえないが、数日の面接では断言できない」とした。

「精神分裂病」という名称は "schizophrenia"(シゾフレニア)を訳したものですが、2002年(平成14年)の夏から「統合失調症」という名称に変更されています。

6月5日、広島地検は、Tを強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗致傷、人質強要処罰法違反、銃刀法違反の5つの罪名で、「刑事処分相当」の意見をつけて広島家裁へ送致した。広島家裁の裁判官は、「審判をするために必要がある」と、観護処置を決め、Tは広島鑑別所に収容された。

バスを乗っ取ったことで、定期路線のコースを運航させずに、不法に利益を得たことからバスに対する強盗罪が適用される。

6月6日、だが、刑事責任能力を判断し適切な処分を行なうには、家庭や学校などの生活環境を調査し、担当医や事件の被害者からも事情を聞く必要があり、関係者は佐賀付近に住んでいるため、Tを佐賀家裁に移送し、Tは佐賀少年鑑別所に収容された。

6月7日、国立肥前療養所は、Tは狭義の精神病ではなく、一時帰宅の点は危険の予測はできず妥当だったと公表した。

記者会見の主なやり取りは次の通り。

6月17日、佐賀家裁で、第1回審判が開かれ、Tを9月15日まで、佐賀少年鑑別所に鑑定留置することが決定した。この留置は精神鑑定のためであり、3ヶ月かけて精神科医が少年に問診を行なうなどして、刑事責任能力の有無を確かめることになる。

7月17日、社団法人日本バス協会(桜井勇理事長)は「バスジャック対策検討会議」を設置したが、バスジャックの統一対応マニュアルを策定し、緊急時に車内から車外に連絡する3種類の装置を公開した。

社団法人 日本バス協会
マニュアルには「バスジャック発生後すぐに、犯人に見つからないようにハザードランプを点灯させ続け、パッシングを繰り返す」などが盛り込まれた。また、緊急時の連絡手段として、同協会は高速バスを中心に(1)車両後部に装備する防犯灯(2)ハザードランプの点滅スピードを倍に速める装置(3)「SOS」などの表示板のどれか一つを必ず装備することを決めた。

9月21日、佐賀家裁で、第2回審判が開かれ、精神鑑定を行なった鑑定人の福島章上智大学教授が、3時間に渡って証言した。精神鑑定の「主文」には、「精神病的な心理状態にはなかったが、解離性障害のため、自我の統合能力が低下していた」とあり、さらに、「精神分裂病の前駆期の疑いがあるので、医療少年院への送致が望ましい」としている。

9月26日、佐賀家裁で、第3回審判が開かれ、Tへの尋問が行なわれた。このときTは「被害者のことをどう思っているか」と問われ、「謝りたいけど、声に出して言えない」とかぼそい声で答えた。


9月29日、佐賀家裁で、第4回審判を開かれ、Tに対し5年以上の医療少年院送致とする保護処分を言い渡した。


10月2日、Tは京都医療少年院に移送された。5月1日に起きた愛知県豊川市での主婦殺害事件の少年には、名古屋家裁が発達障害のひとつ「アスペルガー症候群」で心神耗弱だったとして同じく医療少年院送致の処分が言い渡されている。

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